「いやーすっかり夏ですねぇ」
額から噴き出る汗をアバンは懐から取り出したハンカチで拭う。今年の夏は異常ともいえる猛暑で、ただ道を歩いているだけで汗を掻く。それも大量に。
暑当たりも多く、道端で倒れてしまう人も少なくなかった。
「暑かったでしょう。昼間に動き回るもんじゃないっスよ」
「ははは。そうは言いましてもねぇ、私もそうそう自由に時間が取れるというものでもありませんので」
近くに用事があって来たのですが、あなたの事を思い出しましてね・・と、突然の訪問を詫びるアバンに察しの良い弟子は「尋ねてきてくれて嬉しいっスよ」と答える。
本当は自分達の事を気にしてきたんでしょう?とは口には出さず、ただ視線で横にまるで姫を護る騎士の如く立つ兄弟子を視線で抑えていた。
ああ、全く。言葉通りの表現がぴったりくるとは・・・・と、リベラルな考え方をする事には定評のあるアバンですら頭痛を覚えずにはいられない。
何しろ、女の子が大好きと広言して憚らなかった少年と、その育ち故常に気遣わずにはいられなかった今では青年となった兄弟子が――まさかくっついてしまうとは。
それを聞いた瞬間のアバンは正に【痛恨の一撃】を食らったかのごとく、いや、アストロンならぬ時の魔法を行使したかの如く思考もその身も凍結したものだ。
君達少し考え直しなさいね、その関係はやはりオススメできませんよ、ベリーベリーバッドです、と思わず駆けつけまくしたてそうになったのだが、
今こうして見てもわかるようにこの二人の関係は誰と変わる事のできぬ程に良好で不安定さがない。
(正しい事なんて、何もないのかもしれませんね)
世の常識からは外れているにしても、本人達が幸福を感じているのならばそれが何よりであると、思い切る事ができるのがアバンの美徳である。
しかしながら、どう見ても主導権は弟弟子たるポップが握っているようで、かかぁ天下間違い無しといった感もある。
アバンに対しては甘えん坊のといった面をみせるポップだが、どうもヒュンケル相手だと女王様化するようだ。
ま、素直で愛らしくヒュンケルに甘えるポップの姿などは見たくないのでそれはそれで良しとする。
(ヒュンケルがそれをどう思うかは無視。少なくともヒュンケルの忍耐力には信頼を置いている事であるし)
「先生はいつも忙しいですね」
「貴方程ではないとも思いますが」
「そんな事はありませんよ。俺は手ぇ抜ける所は抜いてます。加減はわかってますから」
「だったら良いのですけれど」
「そんな格好をしているからではないか?もう少し薄手の生地の服を着るとか、せめて袖の無い服を着るとかだな」
「ヒュンケル。先生は年なんだからお前と違って肌をさらせないんだ」
「・・・・・ポップ。私はそれほどの年ではありませんよ」
「あっすんません、つい」
ついって何どゆこと?つい気が緩んで言葉が滑った?本音がつい洩れた?つい事実を言っちゃった?
愛弟子のフォローにとても聞こえぬ言葉にいじいじとアバンはテーブルの上にのの字を書いた。
「そ、それよりっ咽渇きましたよねっ!ヒュンケル!手、洗って」
「ああ」
「ああ、おかまいなく。水でも頂ければ――」、とアバンが差し止める間もなくヒュンケルがボウルを抱えて戻ってくる。
内心ひくりと思わぬでもない。ここが戸外であるなら、椀だろうがバケツだろうが鎧兜だろうが代用品として使わぬでもない。
が、屋内において、きちんと食器の類が揃っている状態で客人にそれで差し出すのはどうだろう。弟子の育て方を間違えたかもしれない、と思った。
「さんきゅ」
そんなアバンの葛藤を他所に、手塩を込めて育てあげた筈の魔法使いの少年がにこやかにそれを受取る。
ポップならばもう少し気遣ってくれると思っていたのだが、誤りだったようだ。それだけ心許してくれていると、思えば良いのだろうか。
「んじゃ、次、これな」
「うむ」
まぁ咽渇いているからそれでもいいですかね。
水には変わらないんだし、と、何はともあれ可愛い弟子のやる事なのでそのまま受け入れようか、という気分になってたアバンなのだがその手に水はまだ渡ってこない。
よく注意してみればそれは当然の事だった。何しろボウルに水は入っていない。
どうやら二人は何かをするようだ。咽の渇きよりも興味の方が勝りアバンは二人をじっと見つめる。
ぽんとヒュンケルに投げられたのはポップの横に積んであった果実だ。つやつやと輝く、新鮮な果実の山から一つを取り出した。
「―――ふんっ!」
「・・・・・・・・・・・・」
ぐしゃっと。
ぐしゃっと潰れました。
ええ、思いきりよく、ヒュンケルの手の中で果実が潰し尽くされました。
ポタポタと手の隙間から押し絞られた果汁が、その下に置かれたボウルに溜まっていく。
「ほい、次」
「ああ」
「・・・・・・・・・・・」
何事もなかったかのように再びポップが果実を放る。ヒュンケルが受取る。押し潰す。その繰り返し。
えーーーーーーーーーーーーーーーーと?
呆気に取られて言葉も無いアバンの前で、ヒュンケルとポップの弟子二人は黙々と作業に勤しんでいた。
果実の山が消えた頃、ポップはヒュンケルを促して絞り糟を始末させた。そしてポップはボウルに溜まった果汁を今度はグラスへと注ぐ。
し、絞りたてジュースとは新鮮ですねぇ・・・・と、感心してみせるべきなだろうがさすがのアバンも反応に詰まっていた。
「さて、あとは・・・」
「ほら」
「さーんきゅ」
あ、云の呼吸で戻ってきたヒュンケルが先ほどから放置されていた水の注がれた椀を差し出す。
それを受けたポップは、一瞬だけ目を眇めて小さく囁くような声で「ヒャド」と呪文をかけた。
ひたひたと波打っていた水がキィンとした冷気と共に一瞬で固まる。驚く事でもなんでもないのだが、そこにはひんやりとした氷ができていた。
細く先の尖ったピックでそれを砕いたポップがどぽどぽと三つのグラスに砕いた氷を放る。そしてグラスを軽く振ると、ようやくというべきなのかアバンにそれを差し出してきた。
「どうぞ。咽乾いた時は冷たい飲み物っスよね」
「そ、そ、そうですね・・・あははははは」
にこやかな笑みと共に差し出されたそれをアバンは受取る。ひんやりとした感触は確かに嬉しい。嬉しいには嬉しいのだが――
「・・・・あななたちは、いつもこうやって飲み物を作っているのですか?」
「んーまぁ最近暑いですから。ヒュンケルの鍛錬にもなるっしょ?日々これ鍛錬です」
「そ、そうですね。さすがは私の弟子のポップです」
「やだなーそんなに褒められると照れちまいます」
「・・・・・・・・・・・・・」
無口な兄弟子は静かにポップの横に佇みながら、己が作り出した飲み物に口をつけている。
陽気な弟弟子の作りだした氷によって、飲み物はひんやりと冷えて心地良い冷たさを咽と全身に潤してくれた。
厚いもてなしと、言えるのかもしれない。
言えるのかもしれないがーーーーーーーーーーーーっ。
やはり弟子達の教育方針には誤りがあったのだろうか?と今更ながらに過去を振り返らずにはいられないアバンだった。
[ date: 2005.05.21 ]
林檎の方が絵面上は良いのですが、さっぱり感はやはり柑橘類ですよね
(そういう問題でもあるまい)